تسجيل الدخول「――すみません、これ、落ちていたので」 差し出した扇子を受け取った彼は、私の推し、鳳凰院蓮杖だった。 歌舞伎界の新星、完璧な女形として舞台で輝く彼。二年間、私はただのファンとして、遠くから見守るだけだった。それなのに、運命は突然動き出す。 「しばらく、私の世話をしてくれませんか」 こうして始まった同居生活で、私は知ってしまった。舞台の完璧な「女形」の裏に隠された、もう一つの顔を――。 朝が弱くて、コーヒーにうるさくて、部屋を散らかす。稽古で疲れ切って、弱音を吐く。そんな、生身の「男性」としての彼。 憧れていた推しは、こんなにも人間らしかった。 完璧じゃなくても、いい。むしろ、その不完全さが愛おしい。
عرض المزيدそれから半年が過ぎた。 十二月、再び師走がやってきた。真澄と蓮杖が出会ってから、ちょうど一年が経った。 真澄は歌舞伎座の広報部門で、順調にキャリアを積んでいた。歌舞伎の魅力を多くの人に伝える仕事は、やりがいがあった。 蓮杖は、若手女形のホープとして、さらに活躍の場を広げていた。テレビのドキュメンタリー番組にも出演し、歌舞伎の世界を広く知らしめることに貢献していた。 二人の生活は、穏やかで幸せだった。--- ある夜、真澄は居間で一人、考え事をしていた。 蓮杖は稽古に出ていて、まだ帰ってきていない。 真澄は窓の外を見た。庭の木々が、冬の風に揺れている。 一年前の今日、自分は蓮杖と出会った。 あの日、扇子を拾ったことが、すべての始まりだった。 推しだった蓮杖が、今は夫になっている。 それは、夢のような出来事だった。 玄関の扉が開く音がした。「ただいま」 蓮杖の声だ。真澄は立ち上がって迎えに出た。「おかえりなさい」「ただいま、真澄」 蓮杖は真澄を抱きしめた。その体は冷たかった。「寒かったでしょう。お風呂沸かすね」「ありがとう」 蓮杖は真澄の頬にキスをした。--- 夕食の後、二人はソファに座ってお茶を飲んだ。「真澄、覚えてる? 一年前の今日」「ええ。私たちが出会った日」「あの日から、僕の人生が変わった」 蓮杖は真澄の手を取った。「真澄がいてくれたから、僕は自分自身を見つけられた。完璧である必要なんてない。ただ、自分らしくあればいい。それを教えてくれた」「私も、蓮杖に出会えて幸せよ」 真澄は微笑んだ。「推しだった蓮杖が、今は夫になっている。これ以上の幸せはないわ」「これからも、ずっと一緒にいようね」「ええ。舞台で輝く蓮杖も、日常で私の隣にいる蓮杖も、す
新春大歌舞伎の公演は大成功に終わった。 初日のハプニングがあったにもかかわらず――いや、むしろそれがあったからこそ――蓮杖の演技は高く評価された。「鳳凰院家の新しい風」「若手女形の希望」。新聞や雑誌の評価は軒並み高かった。 しかし、蓮杖自身は、そうした外部の評価よりも、もっと大切なものを得ていた。 それは、「自分自身であることの自由」だった。--- 二月に入り、真澄は会社を辞めることを決意した。 蓮杖との生活を続けるには、もっと時間が必要だった。そして、真澄自身も、新しい道を歩みたいと思っていた。「本当にいいの?」 辞表を出した後、葵が心配そうに尋ねた。「うん。もう決めたから」「新しい仕事、見つかったの?」「ええ。知り合いの伝手で、歌舞伎関係の仕事を紹介してもらったの」 それは本当だった。蓮杖のマネージャーが、真澄を気に入り、歌舞伎座の広報部門で働かないかと誘ってくれたのだ。「歌舞伎? 真澄、そんなに詳しかったっけ?」「最近、すごく興味が出てきて。勉強してるんだ」 真澄は笑った。葵は少し不思議そうな顔をしていたが、最後には微笑んだ。「そっか。じゃあ、頑張ってね。でも、たまには会おうね」「もちろん」 二人は抱き合った。真澄は胸が熱くなった。葵は良い友人だ。いつか、蓮杖のことも紹介したい。--- 三月、桜の季節が訪れた。 真澄は正式に蓮杖の家に引っ越した。自分のアパートを引き払い、鳳凰院家の一室を借りることにしたのだ。「本当にいいの? 一緒に住んで」 引っ越しの日、蓮杖が心配そうに尋ねた。「もちろん。私、ここで蓮杖と暮らしたいの」「でも、僕の稽古や公演で、迷惑かけるかもしれない」「迷惑なんかじゃないわ。むしろ、そばにいたい」 真澄は微笑んだ。蓮杖も笑顔で応えた。「ありがとう、真澄。これから、よろしくね」「こ
真澄が何気なく投稿した写真がバズった話。 ある休日の午後、真澄と蓮杖は庭で過ごしていた。 十一月の穏やかな日差しの中、二人はベンチに座ってお茶を飲んでいた。タマも一緒で、蓮杖の膝の上で眠っている。「良い天気だね」 蓮杖が言った。真澄も頷く。「本当に。こんな日は、ずっとここにいたい」「僕もだよ」 蓮杖は真澄の肩に頭を預けた。真澄は微笑んで、蓮杖の髪を撫でる。 その瞬間、真澄はふと思いついて、携帯を取り出した。「写真、撮ってもいい?」「うん」 真澄はカメラを構えた。しかし、蓮杖の顔は写らないように、後ろ姿だけを撮った。庭の木々を背景に、ベンチに座る二人のシルエット。タマも一緒に写っている。「綺麗な写真だね」 蓮杖が覗き込んできた。真澄は微笑む。「この写真、SNSに上げてもいい? もちろん、蓮杖の顔は写ってないから」「構わないよ。どうせ誰も気づかないだろうし」 真澄は写真にフィルターをかけて、インスタに投稿した。 キャプションには「穏やかな午後」とだけ書いた。--- しかし、この投稿が予想外の反響を呼んだ。 最初は数人の友達が「いいね」をしただけだった。しかし、数時間後、真澄の携帯が鳴り止まなくなった。 通知が次々と届く。「いいね」の数が数百、数千と増えていく。「え……なにこれ」 真澄は驚いた。なぜこんなにバズっているのだろう。 コメント欄を見ると、驚くべきことが書かれていた。「これ、鳳凰院蓮杖じゃない?」「後ろ姿だけど、絶対蓮杖だよ」「庭の感じが鳳凰院家っぽい」「蓮杖、彼女いたんだ!」 真澄は慌てた。「蓮杖、大変!」 蓮杖も携帯を見て、目を丸くした。「えっ……バズってる」「どうしよう。みんな、あなただ
それから一週間が過ぎた。 真澄と蓮杖の関係は、表面上は何も変わらなかった。真澄は相変わらず毎日蓮杖の家に通い、彼の世話をしている。しかし、二人の間には、確かな変化があった。 恋人としての距離感。 蓮杖は以前より真澄に甘えるようになった。稽古から帰ると、真澄の肩に頭を預けて疲れを癒す。夕食の後は、二人でソファに座り、蓮杖の手が自然と真澄の手を探す。 真澄もまた、蓮杖への接し方が変わった。以前のような「推し」への遠慮がなくなり、もっと自然に、もっと親密に接するようになった。 しかし、真澄の心には、まだ一つの疑問が残っていた。 自分は本当に、蓮杖の「すべて」を受け入れられているのだろうか。--- 十二月も半ばを過ぎた頃、蓮杖が大きなニュースを持ち帰ってきた。「真澄、聞いて。来月、新春大歌舞伎で大役をもらったんだ」 夕食の席で、蓮杖は興奮気味に言った。「大役?」「ああ。『京鹿子娘道成寺』の清姫を、単独で演じることになった」 真澄は驚いた。『京鹿子娘道成寺』は、女形にとって最も重要な演目の一つだ。清姫という、恋に狂って蛇に変身する女性を演じる。技術的にも、精神的にも、非常に難しい役だ。「すごい……おめでとうございます!」「ありがとう。でも、正直言って、不安なんだ」 蓮杖の笑顔が、少し曇った。「この役は、父も、祖父も演じてきた。鳳凰院家の伝統を背負う役なんだ。もし失敗したら……」「失敗なんかしません」 真澄は力強く言った。「蓮杖の舞は、誰よりも美しい。絶対に成功します」「真澄……」 蓮杖は真澄の手を握った。その手が、わずかに震えている。「でも、もし僕が失敗したら、真澄はどう思う? がっかりする?」「そんなわけないじゃないですか」 真澄は首を振った。「蓮杖が失敗したって、私の気持ち